OUR STORY
おひさまパン工房のノムさんです。
僕は廿日市の隣町、五日市の海辺で生まれ育ちました。
楽々園のルンビニ幼稚園から南小、南中と進み、高校は廿日市高校でした。
小さい頃は祖父に連れられて海へ出かけ、潮が満ちていれば釣りを、潮が引いていれば潮溜りで生き物をずっと探していました。
陸にいる時は虫を捕まえているか、(危ないので)祖父と一緒にしょっちゅう庭で家庭ゴミを燃やしていました。
古き良き昭和の時代でした。
さて、この仕事を始めたきっかけはというと、どうせ仕事をするなら人に喜んでもらえる実感・手応えが欲しいと、強烈に思ったことでしょうか。
それを手にしようと思うと、都会よりも人の少ない地方の方がいいんじゃないかと直感で、離島で過疎地で、昔ながらの日本らしい慣習が残る宮島で理想的な「仕事」を探すことにしました。
1年くらい宮島中を歩き回って、時には公民館のクラブ活動に参加し、時には地元の方と一緒にごはんを食べる中で、お年寄りが多く、買い物や食事の世話が大変でパン屋があったらいいという話を何度となく聞かされ、パン屋を開くことを決意。
お店の場所は、紹介してもらった老舗もみじ饅頭屋の社長さんが貸してくれました。
パンは石窯で焼くことにしました。
宮島は杓子が特産品で島内のあちこちに工房があり、杓子を型取りした後の端材がたくさん積んであったので、「燃やしたい」とうずうずして我慢できなかったんですね。
今でこそ、そういうことをSDGsとか言ったりしますが、祖父と家庭ゴミを燃やしていた原体験が呼び起こされただけなんです。
宮島を選んだのもきっと、海でずっと遊んでいた遠い記憶が僕を向かわせたんだと思います。
石窯の石は地元の建設会社の社長さんが手当てしてくれたり、薪は杓子屋さんが端材を譲ってくれたり、たくさんの人にサポートしてもらって段々と形になっていきました。
お店の名前は、僕を育ててくれた師匠が「世界で一番おいしいパン工房」と考えてくれました。
「自分の子供や親が作ってくれたものは形が悪くてもおいしく感じるんだから、お客様に対してそういう気持ちでパン作りをしような」という強いメッセージが込められていました。
ただ、素人が始めるのに「世界一」はさすがにおこがましかったので、その世界観が表現された有名な絵本「おひさまパン」の題名と組み合わせることにしました。
著者のエリサさんに名前を使わせてほしいとお願いすると二つ返事でOKをくれました(店内の絵本にそのときのメールのコピーを貼っています)。
そうやって2010年4月にオープンの日を迎えることができました。
あれから10年以上が経ちました。
資料によると飲食店は10年後には1割も残らないらしいです。
日々、お客様やお取引先様に感謝し、謙虚に仕事を続けてきた結果、今があると思っています。
海遊びと火遊びを教えてくれた祖父にも感謝しつつ。
連絡先
〒738-0024 広島県廿日市市新宮2-14-14
営業日 木曜〜日曜 11:23〜17:00(不定休あり)