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執筆者の写真直 野村

なぜ、英国菓子?

2010年に宮島でパン屋を創業しました。


あれから13年。


今は英国菓子を作るようになっています。


いったい13年の間に何があったのか、という話を今日はします。



もう半世紀前になりますが、お店のある廿日市の隣町、五日市でノムさんは生まれ育ちました。


実家は廿日市高校のグランド側すぐ近くにあり、サッカーの朝練に行くため壁をよく越えて登校していました。



そんな実家の庭には花が咲き誇っていて、「あー、花がようけ咲いとる家よね」と近所では昔から有名でした。


そのせいで、小さい頃は学校へ切り花を持って行かされていました。


当時は男子が花を手に登校するなんてあり得ない時代でしたから、友達の視線が痛くて恥ずかしさで死にそうでした。





あれから40年。


花を持たされていたことがトラウマになるくらい嫌だった子供だったのに、今では近所の園芸店へ毎週通うようになるなんて、自分が自分にびっくりです。


レモンや葡萄の樹を庭に植え、外壁にはハンギングバスケットを吊るし、店内を観葉植物やドライフラワーで埋め尽くすまで、ガーデニングにのめり込んでいます。


緑を目にすると心が落ち着くんですよね。


歳をとりました。


今やっと親に感謝できるようになりました。



そんなある日、お店を外から眺めていると「これってイギリスっぽくなるんじゃね?」と思い、気がつくと英国菓子を作り始めていました。


GoogleやYouTubeでガーデニングをキーワードに調べると決まって、イギリスのパブやカフェが出てきて石かべにいい具合に草花が飾られているんですよね。


何回も何回も調べているうちに、イギリスのイメージがすり込まれてしまったんだと思います。



来週は遅いお正月休みをいただいて、英国菓子の試作とハンギングバスケット(新しく10個も買ってしまった!!)の花植えに勤しみたいと思います。




書いている人




ノムさん

広島生まれの広島育ち

趣味はサッカー番組を見ることと、ガーデニング


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宮島でパン屋をしていました。

世話好きな近所の方や良いお客さまにたくさん恵まれたものの、観光客が増え始めた頃から激務で怪我や体調を崩すことが増えて已む無く閉店。

縁あって今の廿日市へ移転して来ました。


ところがレストラン、カフェ、ベーカリーとやることなすこと全部失敗。

借金が嵩み、倒産が現実味を帯びてきた頃に原点回帰して、薪窯で焼くことを大切にし、食パンだけを焼き始めたら、やっと好転し始めました。


そんなわけで座右の銘は原点回帰です。

困った時や迷った時には、創業1日目、さらに遡って創業しようと思った日の気持ちを思い出すようにしています。



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